- JLogos検索辞書>
- 藤原新田(近世)とは
「藤原新田(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- amazon商品リンク
藤原新田(近世) 江戸期の新田名魚沼郡のうち田沢村22か村の1つ信濃川右岸地名は,原または藤原と称する土地に新開したことによる正保元年田沢村庄屋五郎兵衛の開発により成立はじめ高田藩領,天和元年からは幕府領村高は,「天和高帳」37石余,「元禄郷帳」では桂村枝郷とあり同じく37石余天和2年検地では田畑屋敷合わせて反別3町余元禄7年改村鑑によれば,家数1・人数13,馬3天明5年入会地桔梗ケ原開田がはじまり,寛政元年から徐々に高請をした庄屋は田沢本村に置かれた地内に神社はなく,他村とともに桔梗ケ原の田開稲荷社を祀った江戸中期以降は田沢村の一部となったと思われるが(天保郷帳),その後も独立して扱われることがあった天保5年,前年の飢饉に窮乏した農民180人ほどが春まき稲種子の支給を求めて藤原新田の田に集合し庄屋宅を襲わんと気勢をあげる一件があったが,種子籾を給されて大事に至らなかった |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
藤原新田(近世) 江戸期~明治6年の新田名頸城【くびき】郡のうち渋海川上流右岸幕末,東浦田村庄屋が中心となり開発された新田幕府領村高は,「旧高旧領」では藤原分とあり10石余住人はなく,無民戸村ほとんどが東浦田村庄屋本山家の所有地であった明治6年浦田村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」